裏切る意識と良心と

お頭(お・か・し・ら)

2012年08月08日 10:21


喜びと罪悪感の狭間で
 

 つい最近 聖書を再読しました。数年前に読んだ時よりもより多くの気づきを得ることが出来ました。

 聖書も好きだけど、般若心経の教えも好きです。

 今では「マンガ 聖書」などの判りやすいものも多く出回っているようですので

 ご興味のある方はまずは、漫画本から・・・いかがでしょうか?


 モーセ、キリストなどの聖人たちは神を信じきることで多くの奇蹟を起こしています。


私たちも 叶うのか叶わないかなどと疑いながら余分なことを頭で考えながら行動するよりも

 疑うことなく突き進んだほうが良い結果が得られることも多いのかと思います。



 自分が傷つくのが怖いから相手を疑って生きるよりも

 信じてみること。

 信じきっている人のことを騙すことをする人も世の中には存在していて

 そうしなくちゃ生き残れないと思っていて

 
 でもね・・・


 私たちの心には良心という心が誰にでも存在する。

 良心という心は正直や親切をすれば喜び、不正直や不親切をすれば罪悪の念を抱く。


 世の中には良心という心をあまり使えなかった環境に身を置く人もいて・・・


 長い間良心を使わずにいると、良心の感度が鈍ってしまう・・・。


 そして、何がなんだか判らなくなってしまった人も多くいる・・・。


 逆に良心をたくさん使って生きてこられた人は幸せで

 
 大人になってしまうと間違いを教えてくれる人があまりいなくなってしまう。



 不正直を不正直だと自覚できない人に

 「非難や、罵声やののしりをすることで良心に

 さらに頑丈な蓋をしてしまうことになる」

 ふたたび不正直を行わないように説明が必要で

 一度で通じる場合もあれば、何度言っても通じない場合もある。

 良心をとり戻すには愛というものが必要で

 愛を貫くには忍耐【年月】という性質が結びつかなければ

 実を結びにくいこともある。


 *旧約聖書「マナの収集」プッサン作

 モーセが引き連れた民たちは神が与えた地にたどり着くまでに
 40年の年月をかけた。動物的本能で生きることを選択しがちな
 民に人として生きることを学ばせ、肉体の満足のために食らう
 ことよりも崇高な意識で生きることが人として生きることだと
 民が学ぶまでこんなに多くの月日が費やされました。一度備って
 しまった意識は治るまでにはたくさんの時間がかかってしまう
 ものなんですね・・・。





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